迦楼羅炎
初不動に参加するため山寺へ。
それぞれのお願い事と名前が書かれたお札?を火の中へ。一時間ほどですがその間ずっと般若心経が唱えられます。
さぁ、そろそろ始まるっ、呼吸を整えて炎にフォーカスしていよう!と思った瞬間に隣に座った爺さまが経本を開いて、「般若心経を目で追うだけでも違うから」と貸してくださいました。後から聞くとその経本は高野山の宿坊でいただいたものらしく、なんとのもありがきことと...
その爺さま曰く、ずっと読み続けていくと空になるからいいんだよって。うーん、今ここで空か...
そこで、こう解釈したわけですよ。あぁ、一緒に祈願する友人たちの思いや自分の思いはもう天にお任せすればいいのね。お経を唱えて自分の中を空っぽにすればそれでいいのかっ!と。
そんな気づきがあってから、前の日にお茶をしたご婦人からも
今ここにこうしているということが
世の中のためになっている
と同じことを言われたなぁと思い出すのですが、なんとその晩、遠く離れたところから全く同じメッセージが届いたのには笑ってしまいました。
遠い明日に希望を持つとかじゃなくて、
今あなたにできることが誰かを救ってるってこと
今わたしにできること、それは願うんじゃなくって空っぽになって自分の中の核の真ん中にフォーカスすること。そうすることで行く道が示されるのだな。
さすがに三日続けて、三人がかりでこんなメッセージをいただくともう強力ですね。後のお説法の中でお不動さんの背中の炎は迦楼羅炎(かるらえん)って言って不浄なものを焼き尽くしてくれるものですと説明がありました。なるほど!直接感情でやり返す必要はないみたいですね。
もうしばらく余計な情報は遮断して自分にフォーカスしてみましょう。
では👋